ホストクラブで働いた経験

新宿歌舞伎町でホストして働きました。そこで出会った昼の職業ではほぼ関わることのない従業員達との交流がとてもおもしろかったです。人の数だけ面白エピソードがありますが、その中でもウザい、そして皆に嫌われていてお客様からもNGだらけで最終的にはお客様の席に1卓しか着けるところがなかった(でもなんか憎めない)ホストについてお話します。名前は仮名G君です。ホストを初めて約4か月が経とうとしたところ、月一で出勤前にチームミーティングをする決まりができました。当時お店には4チームあり、それぞれのお客さんの情報をチーム内で管理したり売り上げ向上のために話し合う場でしたが、仕事柄出勤前に皆飲むのでべろべろに酔っぱらいます。ミーティングにも慣れてきたところG君がお店を辞めることになり気持ち半分送別会のような雰囲気になり、その日G君はチームメイトの一人R君に煽られG君はどんどん自分からお酒を飲みました。話の途中全然意味の分からないタイミングで泣き出し、「あ。めんどくさいな」という雰囲気が流れたときG君はそのまま口を開けたまま気絶しました。なぜかみんなすごく冷静でそのままタクシーに乗せ出勤しました。自分も相当飲んだので具合が悪く、さすがにチームリーダーである幹部の先輩も怒られたようです。出勤から3時間くらい経ち、絶対無理と思っていたG君がバーカウンター越しにグラスを洗ってるのが見え、「スゲー」と思うと同時に最高に面白かったです。席からバーカウンターは少し遠かったので見えにくかったですが、その日G君が着ていたシャツに龍みたいな模様が入ってると思ったら、ただゲロまみれなだけでした。

韓国でも大阪弁が炸裂

私は年に何度も韓国に行くほど韓国好きです。韓国ドラマ、KPOP、韓国料理、韓国コスメなどすべて好きです。 韓国旅行に行くとなんどか事件は起こしているような気がします笑。それが後になって笑える事が多いのですが、今思い出しても笑ってしまう事です。それは好きなアーティストのライブを見にソウルへ旅行へ行った時の事でした。ライブは何度か行っていたのですが、やはりドキドキする事が多いです。その日も友達と現地の方にチケットをお譲りして頂く事になっていました。 チケット会社の方のところ行くと私たちのチケットがないとのこと。そんな事は許されません。私と友達は韓国語がしゃべれないので大阪弁で、めちゃくちゃ文句を言いました。その時は私たちは必死だったと思います。ここまで来て入れなかったらと。「なんでやのん!そんなんおかしいやろ!上のもん出しーや!どんだけ時間かけて来たと思ってんのよ!」するとあまりの大阪弁の圧に負けてしまったのでしょうか、違う所からチケットを持ってこられました。私たちはそれでいいねん!!って感じで強気にチケットを受け取って行きました。友達をチケットを見てびっくり!私たちが思っていた席よりもはるかにいい席のチケットでした。そんなことある??って言いながら私たちは最高のライブ鑑賞ができました笑。大阪弁は韓国語に勝った瞬間でした笑

地元のT先輩パチンコ店にて

仕事のT先輩とパチンコ屋に行ったお話。 いつものように、パチンコをしていた。その日はとても調子が良く僕は3万円ほど勝つことができた。一方の先輩はかなり調子が悪く「5万円負けたと」半分泣きそうな声で言ってきた。それでもまだ先輩は打つと言ったので先に帰ることにした。次の日、先輩が「昨日5万円勝った。だから奢ってやるよ」とご馳走してくれた。「あれからよく捲りまししたね」と言ったら「ちげーよ、あの後台探してたら財布が落ちててその中に10万円入ってたんだよ。だから、5万円勝ち」それを聞いて正直ひいた「大丈夫ですか、捕まっても知らないですよ」T先輩「大丈夫、誰にもバレてないから」と謎の自信。 2ヶ月後、僕の携帯が鳴った。「もしもしこちら◯◯警察の者だけど、◯◯さんですか、2ヶ月前◯◯パチンコ店で財布を拾ったでしよ」と電話が来て一瞬で先輩の事を思い出した。なぜか財布を取った犯人が俺だと警察が疑っている。取り合いず電話を切って急いでT先輩に連絡した。しかし、何度も電話しても出ない。仕方がないのでLINEで「2月前の財布の件で警察から連絡が来て僕が疑われています。」とメッセージを送った。その後警察から連絡がきて今すぐ警察署まで来いと言われ向った。 そして、警察署について全て真実を話した。そしたら先輩から電話が掛かってきた。周りにいた警察官がそれに気がついて「例の奴か?スピーカーにしろ」と言われ電話に出ると「もしもし、まだ言ってないよな、絶対言うなよ」メチャメチャT先輩が焦って言ってきたのが、警察に丸聞こえになっていた。 まさにドラマのようでしたが、その場は僕もただただ焦ってしまってどうすることもできなかったのですが、今思うとおかしくて仕方がない。いまだに酒のつまみの話として語り継いでいる。

おじさん・・見栄はっちゃ~いけないよ!!

私がまだ若かりし頃、会社の健康診断は、指定された病院に行って受けるように言われてた。日を合わせ予約を入れて、出かけて行った。大きな病院なので、色々な人がいて、人数も多い。当然、会社内でやるのとは違って、知る人などいない。ひとつひとつ調べるそれぞれの科に、自分の書類を持って廻っていく。私は、目の検査のところに行った。場所がないのか、それは廊下で行われていた。待つ人のために、廊下の端にソファーが置かれていて、呼ばれるとすぐに検査ができるように、検査をする人のすぐ近くにあった。通常は3m位だろうか、離れてやるのだろうが、30cmもない位にいて、検査をする人もいた。こんなに見えない人もいるのだと、普通であることを幸せに思った。この人が終われば、次は私の番というところまできた。私は、目を書類に落とし、待っていた。そのおじさんは、軽快に答えていった。イ・・カ・・オ・・。看護婦さんが、しびれを切らしたかのように、その人に話した。すいませ~ん、これカタカナじゃありません。見ると、Cの字のように、開いている方を、右とか上とかで答えるものだった。思わず、そのおじさんを見上げて、見えてないじゃん・・と突っ込んでしまった。

友人とナゴヤ球場の野球観戦

今から20年以上も前の話になりますが、高校3年生の時、友人との共通の話題や趣味は野球観戦でした。大学受験の勉強時期の真っ只中、当時のナゴヤ球場に野球観戦しに行くのが何よりも楽しかったのを覚えています。今はドーム球場が多く室外での観戦は減りましたが当時のナゴヤ球場の楽しさといえば、野球はもとより、7回裏の攻撃前の風船飛ばしや、紙吹雪や数々の応援と今ではないものがたくさんありました。未成年でしたのでお酒は飲めませんでしたがきっと野外でビールを飲みながら野球を見るというのもきっと楽しいのでしょう。とある観戦の日は高校3年生ということもあり名古屋で場外模試の日でした。私と友人ももう何度目かの模試にもやもやとした気持ちで疲れながらも受けに行き何のためにこんなにもテストや模試を受け続けるのかとさえ思いながら、これが終われば今日は野球観戦だと希望を持ちながら模試を受け、その帰り道に模試会場からそのまま野球を見に行きました。球場の雰囲気はそんなもやもやした気持ちを一気に吹き飛ばしてくれました。二人で紙吹雪を作ろうとなり模試の問題集をビリビリと破りその場でたくさん紙吹雪を作り、ぱあっと散らした時には何とも爽快で人生の中でも楽しく愉快で面白い出来事でした。

笑いをこらえる辛さを身にしみて実感した話

これは私が音楽大学の短期大学部に通っていた時の話で、合唱の授業から発表会までの数ヶ月続いた話です。 私は男なのですが、短期大学部の男子が少なかったという理由で合唱は4年大の学生と合同で受けていました。 なので当然人数も多く、男女比のバランスが良いクラスだったため混声合唱が可能な状態だったのですがなぜか選曲は宗教音楽。(発表会当日に分かったのですが他の混声合唱クラスは日本語の歌を歌っていました) 10分弱ある上に慣れない言語は覚えることに必死でしたが、表情が細かく変わる曲だったので聴いていて楽しい曲ではありました。おおまかには「神様を讃えよ」といった内容で、宗教的なテーマではありながら荘厳かつ華麗な曲。 …なのですが、当時それを歌う人たちは大学生なので20歳前後、まだまだ人によっては箸が転んでもおかしい年頃で。 私含め、皆が笑いを抑えきれなくなった理由はズバリ「外国語の語感」です。 空耳でおかしく聴こえるならまだ個人差がありますが、「ノンコンフンダー」という言葉が出てきたためその響きだけで可笑しく思えてきたのです。しかもそれが曲の最後の部分に繰り返し登場し豪華にハモった上で壮大に終わるのでまるでオチのように感じてしまっていました。授業を重ね、歌を覚えていくとともにその歌詞まで思い出してしまい、ついには「次の授業何?」「え、フンダー。」「あぁ合唱か…」といったやりとりが日常茶飯事になる始末。 その一方、先生は真面目に授業を進めており(当然ですが)何に笑っているかさえ気づかないためその温度差すら笑いのタネとなり降りかかってきました。 授業回数が本番まで残り少なくなったある日、ツボの浅い私に小さな悲劇が訪れます。 ヘラヘラしているのが先生にバレた学生がひとりでワンフレーズ歌わされたのですが、、当然「ノンコンフンダー」で笑っていました。ひとりで歌いながらも半笑いで、周りも笑っているなかなか酷い状況。 そんな中、隣にいた先輩が小声で「何も踏んでねえわ」と冷静に言ってくるので吹き出しそうで、しかも先輩は楽譜でケータイを隠して触っているという…。ツッコミどころが多すぎましたがその日は何とか耐えきりました。 そして発表会当日のリハーサル時にもまた悲劇が訪れます。前まで冷静にケータイを触っていた先輩が突然「みんなこれで笑ってたのか!」とかなり出遅れて腹筋崩壊。周りがピークを超えて全て可笑しくなっているこのタイミングで気づくなんて、、 そんな状態でついに本番がきてしまいます。 舞台に出る前からクスクス笑っている皆。ここまでくるといつ吹き出すか分からないため面白さよりも逆に怖さが勝っていました。が、そんな状況も面白く感じてしまい結果意味がわからなくなり「辛い」という。笑 出だしから誰かが吹き出しそうな状態で歌は進みます。隣の先輩も同期の子も所々笑っていました。不覚にも私も釣られて笑ってしまった部分がありましたね。 幸いなことに、難しい曲だということで楽譜を持って舞台に出れたのでごまかせるレベルでした。 例の最後のパートは皆半笑いでカオスでしたが、実はその1つ前のパートが神秘的な静けさを持った部分で、そこが終わり間が空いてから移るためその一瞬の間が1番しんどかったです。ほんの1〜2秒なのに普通に吹き出している人いましたし。 笑いも度を超えるとよくないということに気づかされましたね。笑

私と祖母の一生の忘れられない思い出

家族で広島旅行に行った時のことでした。 広島と言えば、厳島神社が有名ですが、大聖堂や五重の塔などの観光をしていた時でした。 私の性格は、比較的に大人しい感じで他の人と違ってはしゃいでどうこうということはなかったのです。 そこで、今まではあんまりしなかったことが家族の中で一番面白い話題となっています。 それは、ホテルに向かう途中に岩国城とその付近に錦帯橋という橋に行き、記念撮影をしていた時でした。 今、若者たちに広がったあのインスタ映えなどで友達が橋の上でジャンプしたり、色んなポーズをとったりするのが流行りでしたので、私は、橋の上で祖母と一緒にジャンプしながら万歳ポーズを撮る予定が、万歳ポーズで止まってしまいました。 旅行帰りに思い出した時には、もう遅かったです。 でも、あれは、あれで面白かったです。 今まで、あんまりそんなことも考えていなかったし、やらなかった私には、後悔ばかりで勿体ないぐらいでした。 これが、きっかけとなりその日一日は、色んな所で万歳ポーズの話題で盛り上がっていたのです。 思い出すたんびに笑ってしまうほど、面白かったあのポーズは一生の忘れられない思い出となりそうです。

間違った使い方はダメ

今から10年ほど前の話です。 夜、暇を持て余していた私は時間を有効に使おうと当時励んでいたダイエットのための運動をしようと 買いあさっていたエクササイズ用グッズで運動を始めることにしました。 運動も佳境に入り汗まみれになった私は着ていた発汗スーツを脱ぎ捨て上はTシャツ、下はパンツ1枚という とんでもない恰好で踊り狂っていました。 一通り運動も終わり休憩していたら妹が部屋に遊びにきました。 たわいもない話で盛り上がりテンションが上がりまくった私たちは使っていたエクササイズ用器具で遊一発芸をしたりして 遊び始めました。 「飲酒なしでこんなに楽しいなんてやばいね」と話しをしていた時に妹が近くに転がっていた空気がパンパンに入った バランスボールを持ち出してきたのです。 そのバランスボールを妹が抱え「ねえちゃん!こい!!」と言うので私も体当たりをしたりして、ボヨーンとなる感覚で これまた盛り上がっていました。 私の悪い癖なのですがテンション上がりすぎると状況が見えなくなるのです。 ボヨーンを楽しみたいのと、もっと楽しくなりたい一心で今度はかなり助走をつけてバランスボールにめがけて走りました。 体当たりした瞬間ボヨーンというよりボンッ!と音がして私の体は宙に浮きました。 浮いたと言うより弾き飛ばされたのです。 その時、かなりのスローで妹が「ね え ちゃ んんん」と叫んでおり私は走馬燈を見るような気持ちで 床に叩き付けられました。 背中を強打した私は悶絶状態。Tシャツ、パンツ一丁と言うとんでもなく無様な恰好で息も出来ずに悶えていました。 当然その姿に妹は大爆笑。息ができるようになった私も自分の馬鹿さ加減に笑いが止まりませんでした。 落ち着いた頃、一階でお風呂に入っていた母が私の部屋にきて「さっき何か物が落ちてこなかった?」と聞いてきました。 はずかしかったので「知らない。なんで?」と聞いたら「天井が凄く揺れたから」と言われ私はダイエットを固く決心しました。 それと同時に何でも間違った使い方はダメなんだなと実感したのです。

スカートおじさんは今日も来る

私が今まで最も面白かったのはスカートおじさんの事です。スカートおじさんとは文字通りスカートを穿いたおじさんです。私が以前経営していた飲食店の客でした。初めの頃はレザーのピチピチのズボンをいつも穿いていたのでロック系の人だと思ったらある日タイトなスカートを穿いてきたのでビックリしました。でも今はそういう時代なので「素敵ですね」と言ったのが嬉しかったのでしょうか。毎日色々なスカートを穿いてきて見せびらかします。店でクルクル回りながらファッションショーが始まります。正直上半身は男モノの格好で髪も短髪でサザエさんに出てくるアナゴさんに似ているので異様です。大きなスーツケースを持ち歩いていて中にはたくさんのスカートが入っていてパチ屋の便所などで着替えているのだそうです。ある日の夜、スカートおじさんはオレンジ色の派手なエナメルのスカートに黒の編みタイツという出立ちで来ました。案の定ファッションショーが始まりました。誉めなくてはならないので非常に苦痛でしたが適当に「似合う〜」とか言っていたら後ろ向きになりました。スカートおじさんは自分のケツに自信があると言っていたので褒めようとしたらスカートのケツの部分にでっかく「SEX 」とプリントされていたのです。なんだか妙にツボに入ってついゲラゲラ笑ってしまい止まらなくなりました。スカートおじさんは真っ赤になって怒りながら店を出て行きました。あんな女性でも穿かないようなスカートどこで買ったんでしょうか?不思議でなりません。良かったことに?私の店には2度と来る事はありませんでしたが今でもスーツケースをガラガラ引いてどこかの店でファッションショーをしているのでしょうか。

友人Aの知恵の輪自転車

これは僕たちが小学6年生の頃の話です。 当時、僕の住んでいた町は山の中の田舎だったため、学校までの登校する道は坂道が多く、上り坂は辛いのですが、 下校の時は下り坂のため帰りは友人のAと自転車で競争するのが日課でした。 ある日、Aが7段変速ギア付きのちょっと高そうな自転車で登校してきました。 Aは僕の自転車をジッと見て言いました、「今日は俺の勝ちは確定やな。(どや顔)」 僕は悔しくて、「いや、負けへん。」とだけ言いました。 そして、その日も下校は競争で、そのAの自転車は変速が付いてるためか、 とても下るスピードは速くて、僕は追いつく事ができず20mくらい後ろのほうで追いつくのに必死でした。 帰り道の途中、坂道のカーブに差し掛かった所の出来事でした。 Aが先に曲がり、その後ろ姿は見えていたのですが、僕が曲がる時にはAの姿が消えていました。 そして、曲がったすぐはガードレールを挟んで田んぼでした。 そのガードレールには前輪と後輪がドッキングした、知恵の輪のようになったAの自転車がありました。(笑) Aは藁の草に転げ落ち、泣きながら自転車を死んだ魚のように見つめていました。(笑) 僕は笑いを堪えながら、「A,大丈夫?」と言いました。 するとAは泣きながら、こう言いました、 小さな声で「これ…これ…親父の…(涙)」 そうです。あれだけどや顔をしていた、この自転車はAの父の自転車だったのです。(笑) Aは体の痛みよりもAの父から黙って勝手に乗って来た今は知恵の輪のようになってしまった自転車の事で 叱られることが怖く大泣きでした。(笑) 反対に僕はAのどや顔が浮かぶ度に大笑いでした。(笑) 後日談ですが、Aはこっぴどく叱られ、登校は徒歩になりました。(笑)