私が今まで最も面白かったのはスカートおじさんの事です。スカートおじさんとは文字通りスカートを穿いたおじさんです。私が以前経営していた飲食店の客でした。初めの頃はレザーのピチピチのズボンをいつも穿いていたのでロック系の人だと思ったらある日タイトなスカートを穿いてきたのでビックリしました。でも今はそういう時代なので「素敵ですね」と言ったのが嬉しかったのでしょうか。毎日色々なスカートを穿いてきて見せびらかします。店でクルクル回りながらファッションショーが始まります。正直上半身は男モノの格好で髪も短髪でサザエさんに出てくるアナゴさんに似ているので異様です。大きなスーツケースを持ち歩いていて中にはたくさんのスカートが入っていてパチ屋の便所などで着替えているのだそうです。ある日の夜、スカートおじさんはオレンジ色の派手なエナメルのスカートに黒の編みタイツという出立ちで来ました。案の定ファッションショーが始まりました。誉めなくてはならないので非常に苦痛でしたが適当に「似合う〜」とか言っていたら後ろ向きになりました。スカートおじさんは自分のケツに自信があると言っていたので褒めようとしたらスカートのケツの部分にでっかく「SEX 」とプリントされていたのです。なんだか妙にツボに入ってついゲラゲラ笑ってしまい止まらなくなりました。スカートおじさんは真っ赤になって怒りながら店を出て行きました。あんな女性でも穿かないようなスカートどこで買ったんでしょうか?不思議でなりません。良かったことに?私の店には2度と来る事はありませんでしたが今でもスーツケースをガラガラ引いてどこかの店でファッションショーをしているのでしょうか。
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友人Aの知恵の輪自転車
これは僕たちが小学6年生の頃の話です。 当時、僕の住んでいた町は山の中の田舎だったため、学校までの登校する道は坂道が多く、上り坂は辛いのですが、 下校の時は下り坂のため帰りは友人のAと自転車で競争するのが日課でした。 ある日、Aが7段変速ギア付きのちょっと高そうな自転車で登校してきました。 Aは僕の自転車をジッと見て言いました、「今日は俺の勝ちは確定やな。(どや顔)」 僕は悔しくて、「いや、負けへん。」とだけ言いました。 そして、その日も下校は競争で、そのAの自転車は変速が付いてるためか、 とても下るスピードは速くて、僕は追いつく事ができず20mくらい後ろのほうで追いつくのに必死でした。 帰り道の途中、坂道のカーブに差し掛かった所の出来事でした。 Aが先に曲がり、その後ろ姿は見えていたのですが、僕が曲がる時にはAの姿が消えていました。 そして、曲がったすぐはガードレールを挟んで田んぼでした。 そのガードレールには前輪と後輪がドッキングした、知恵の輪のようになったAの自転車がありました。(笑) Aは藁の草に転げ落ち、泣きながら自転車を死んだ魚のように見つめていました。(笑) 僕は笑いを堪えながら、「A,大丈夫?」と言いました。 するとAは泣きながら、こう言いました、 小さな声で「これ…これ…親父の…(涙)」 そうです。あれだけどや顔をしていた、この自転車はAの父の自転車だったのです。(笑) Aは体の痛みよりもAの父から黙って勝手に乗って来た今は知恵の輪のようになってしまった自転車の事で 叱られることが怖く大泣きでした。(笑) 反対に僕はAのどや顔が浮かぶ度に大笑いでした。(笑) 後日談ですが、Aはこっぴどく叱られ、登校は徒歩になりました。(笑)
子供のお尻に水たまり
付き合っている彼女の子供の話です。数年前ですが子供がまだ小学1、2年生ぐらいのときに当時住んでいたアパートの外まで迎えに行きました。前日には雨が降っていたのでアパートの入り口の前には水たまりができていました。水たまりの幅は1メートルないぐらいです。その日もいつも通り元気に帰ってきたのですが、水たまりを見るなり水たまりの手前まで走っていき一息ついて重たそうなランドセルを背負ったまま両足でジャンプをして飛び越えました。見事に水たまりを飛び越えたのですが、しゃがんで着地しそのままゆっくりと後ろに尻もちをついて水たまりにピチャっと座り込んでしまいました。まるでスローモーションを見てるかのようにゆっくりと尻もちをついていました。おかげで当時子供がお気に入りでよくはいていたズボンはお尻のとこだけビチョビチョになってました。子供からしたら1メートルもない水たまりぐらいな飛び越えられると思ったのか、飛び越えてみたいというチャレンジ精神なのかわかりませんが今でも鮮明に覚えています。小さな子供の間抜けな姿だからこそ笑えた出来事なのかもしれません。そして、子供に怪我がなかったことが一番だと思います。
嫌いな人の失態が結局一番面白い
高校時代のことです。私にはとても嫌いなクラスメイトの男子がいました。野球部の男子でいつも騒がしいタイプの子でした。授業態度も不真面目で同じ班になったり隣の席になったりしてペアワークがあるといつも非協力的で迷惑でした。残念なことに席替えで隣の席になることが何度か続いてしまったことがあり、最悪だなと思いつつ私はそれを口にも態度にも出さないようにしていたのに彼は構わず最悪だと何度も連呼していました。小馬鹿にされているようで非常に腹立たしいです。そんなふうにそりの合わない彼にある日事件が起こりました。お昼休みのこと。彼は友人3人と教室でコンビニのパスタサラダを食べていました。雑談しながら食べたいたのですが突然彼は食べていたパスタサラダをひっくり返してしまったのです!それはそれは見事に真っ逆さまにひっくり返り中身が1滴残らず床にこぼれました。さらに面白いことに一緒に食べていたはずの友達は彼の存在などなかったことのようにお昼を食べ続け、声をかけることも片付けを手伝うこともせずに無視を貫いたのです。彼はしきりに最悪〜と呟いてアピールしているようでしたがガン無視でした。いつもこちらを小馬鹿にしてくるような彼のあまりにも情けない姿に笑いを堪えきれませんでした。必死で他のことで笑っているように見せかけて関係ない話をして誤魔化しましたが笑いすぎて危うく過呼吸でした。未だにパスタサラダを見ると思い出してしまいます。あんなに綺麗にひっくり返ったパスタサラダは今後の人生でも出会うことは出来ないでしょう。
宅飲み中にトイレが詰まった話
なんとも汚い話だが、タイトル通り宅飲み中に吐きすぎてトイレが詰まったという出来事について書きます。 社会人2年目の夏。久々に大学のサークルの先輩や後輩と集まって家で飲み会を開くことになった。大学時代からアホほど飲んでは記憶を無くす集団であったため多少の粗相については覚悟の上で主催しました。 それが起こったのは深夜1時。飲み会が始まって6時間ほどがすでに経過していた。後輩の一人がトイレに行ったきり帰ってこない。そいつが酔ってトイレを占領することは学生時代もよくあったので対処は慣れたもんである。トイレのカギをこじ開けて中に入ると詰まって水が逆流しあふれている中便座に座っている後輩の姿だった。 文章読むだけだとなんて汚く不快な状況だと思うが当時の私も後輩もかなり酔っているためその状況にゲラゲラ笑っていた。そして酔って判断力も低下しているため詰まっている状況で何度も何度もトイレを流すボタンを押しているためさらにさらに水が溢れてくる。水が溢れすぎて台所までトイレのうんこ水が侵食したところでふと我に返った。後輩はまだ無邪気にうんこ水のなかではしゃいでる。 仕方ないので深夜1時に24時間やってるスーパーに行き人生で初めてトイレのつまりを治すすっぽんを購入。使ったことがなかったのでつまりが本当に取れるんか半信半疑だったが、ボゴッという音とともにつまりはすぐ解消。浮かんでいたうんこも勢いよく流れていった。 その後は洗面台と台所に侵食したうんこ水を大掃除して眠りについたのであった。 その朝、飲み会に参加しており、トイレが詰まった際にはすでに寝ていたメンバーが朝になってトイレにゲロ吐きに行きそのまま洗面所の床で寝ていた。そこにうんこ水が溜まっていたことは言わないであげている。
焚き火の向こうに・・・
高校生の頃の冬休みに部活の筋トレを兼ねて、友人と一緒に朝の新聞配達のアルバイトをしていた時の話です。 冬休みに入り毎日朝早くから新聞配達をしていて、無遅刻無欠席で件数も多めにこなしていたので所長さんには気に入られ高校生というのもあり可愛がってもらっていました。 仕事の流れとしては新聞を持って自転車で配達に行き、自分の割り振られた場所に配り終えたら持って出た新聞で余った物を事務所に持ち帰ると言う感じですね。余った新聞は必ず持ち帰り返すというのがルールです。 12月31日の配達も無事終わり帰る時に所長さんから「明日は元旦だから初売りなどのチラシが多いから配達大変だぞぉ~!でも頑張ったらお年玉あげるよ」と言われ帰宅しました。 次の日事務所に行きその日の新聞を見ると本当にチラシが沢山でいつもの3倍くらい重さがあるような感じでした。 うわぁ↓↓となっていると所長が「先にお年玉渡しとく」とやる気が出るようにお年玉を渡してくれました。 何とか配達を終え事務所に戻る道中神社の前を通るとお焚き上げの焚き火があり、1月1日の寒い中の配達だったので寒い体を暖めて帰ろうと寄り道をした所、一緒に働いていた友人も同じ事を思ったらしく先に暖まっていました。 これが悲劇の始まりでした。友人と暖まっていると正月のテンションもあり悪ノリが始まり焚き火に「燃~えろよ燃えろ~よ~炎よ燃~えろ~」の歌を歌いながら配達の残りの新聞を投げ込み燃やして大騒ぎ大盛り上がりをし、一通り楽しんで焚き火の炎の向こう側を見ると・・所長が立っていました・・・。 所長と目が合うと所長は何も言わず立ち去って行きました。 重い足取りで事務所に戻ると所長には何事もなかったかのように「お疲れ様」と言われ特に咎められなかったので、友人と帰ろうと事務所を出ようといた所独り言のように「お年玉あげたのに…」と悲しそうな声で聞こえてきましたがそのまま帰宅し退職しました。
ド根性一家が成し遂げたこと
うちの家族の一番の笑える思い出話です。ある日、うちの父が米袋を1袋(容量は30㎏くらい)持って帰ってきました。どうしてそうなったのかという理由はわかりませんが、”この米袋の中の精米した米にもち米を間違って混入させてしまった”ということでした。それも、父が混ぜたものなのか、違う誰かが混ぜたのかも分かりませんが、父によれば、どうしてもこの”混ぜてしまった「普通の米」と「もち米」を分けないといけない”ということでしたので(なぜ分けないといけないのかという理由も聞いていないのでわかりません)その日の夜から、「普通の米」と「もち米」の分別作業が家族4人で開始されました。見分けるのは簡単で、「普通の米」は透き通っていて、「もち米」は白っぽいのです。ただその量に呆然としながらも、家族は黙々とより分け作業を進めて行きました。両親は仕事から帰ると、わたしと弟は学校から帰るとすぐその作業にあたり、わたしたち家族4人は約1週間で1袋を「普通の米」と「もち米」の分別に成功いたしました。ド根性一家だなと思いました。
半纏を探していた時の話
中学生の頃、母が初めて半纏を買ってきてくれました。オレンジ色の可愛い絵の入った綿入れで、家で気に入って着ていました。雪国の子供の気分で当時嬉しかったのを今でも覚えています。 我が家では半纏の事をはんこと呼んでいました。徳島の方言でしょうか、我が家だけの方言でしょうか、寒いと言ったら、「はんこ着とき。」とよく言っていました。 ある日の夕方、半纏が見つかりません。あんな大きなものなくすなんてと自己嫌悪の中探している所に姉がやって来ました。 姉 「どしたん?」 私 「はんこがないんよ」 姉 「この前この辺で見たよ」 一緒に探してくれる優しい姉、部屋の中をうろうろしながら台の上や机の引き出しを探し出しました。 姉 「この前この辺で見たんやけどな。」 お姉さん、引き出しにはんこは入らないと思います。 私 「はんこでよ」 姉 「はんこじゃよ」 と引き出しを次々開けていく姉、 私 「姉ちゃん、私の探してるんは、はんこでよ、引き出しに入るわけないやろ!」 半分キレ気味な私 姉 「ほなけんはんこさがっしょるよ!」半分キレかけの姉 やっとわかった私 私 「私の探しているのは『はんこ』、姉ちゃんが探しているのは印鑑やろ?」 姉 「はんこっていうたでー」
父のプリンター事件
以前実家の父親がパソコンを使いたいというので父の日にパソコンを買ってあげました。中古パソコンでそれほどスペックの高いものではなかったのですが、父は時々動画を見たり、エクセルとかワードで町内会の書類とかを作る程度でしたのでそれで十分でした。 完全な初心者だったのでエクセルとかワードなどのソフトが使えるようになるまで1年ぐらいかかりましたが、簡単な書類ぐらいなら自分で作れるようになりました。 それで今度はちゃんと印刷もできるようにプリンターを買ったらしいのです。そこまでは良かったのですが、ある時実家から連絡があり用件を聞くとどうやらプリンターが全然動かないとのことでした。 電話でいろいろと説明しても全く伝わらず仕方がないので、週末に実家に帰ることになり、現場を見てびっくり。 いちおうキャノンのちゃんとしたやつだったんですが、父はノートパソコンの隣にプリンターを置いただけで何も接続をしていませんでした。 もちろん安いやつでブルートゥースとかでもないので、コードでつながないとだめなやつだったんですが、プリンターをコンセントにつないだだけで隣に置けば勝手に印刷してくれるものだと思っていたようです。 横に並べただけで印刷するわけないやん!って何度も突っ込んでしまいましたが、家族で大爆笑でした。
営業中にお客さんのパソコンでの話
10年ぐらい前ですが営業をしていた頃、たまたまお客さんの会社でパソコンを操作する機会がありました。主に自動車の板金屋や修理屋を回ることが多かったのですが、その時にとんでもない事件がありました。 だいたいこうした会社は大きな倉庫を作業所としてしているところが多く、その中に小さな事務室があるのが一般的です。 そこで事務の女性の方と二人だけになった時のことです。必要なデータがあり、事務の女性が確かのこのパソコンのどこかに入っているので探してもらえませんかと、ちょうどその子の真後ろにあるデスクトップを指さしました。 それでこちらはそのパソコンでいくつかのそれらしいフォルダを探していた時のことです。フォルダ名が「〇〇資料1」「〇〇資料2」みたいな名前だったと思いますが、そのどれかだと思い開けてみると、すごいエロ画像が100枚ぐらい出てきたのです。しかもフォルダのアイコンサイズが最大にしてあったので、パッと見ただけでエロと分かるぐらいの画像のサムネイルだらけになりました。 そして運の悪いことにその瞬間にパソコンがフリーズしてしまい、マウス操作ができなくなりました。自分は何も悪いことはしていないとはいえ、後ろには事務の女性が背を向けて作業しているので、もう冷や汗が止まりませんでした。 結局強制終了させて再起動してなんと無事目的のファイルは取り出せましたが、今でも笑い話として鉄板ネタです。 後日談ですが、後でその会社の社長にそのことを話したら爆笑していました。もうちょっと分からないところに隠しておいてください、社長。